21世紀になって10年も経つけど

大して未来になっていなくないか?空飛ぶ車も出来てないし、人型ロボットも人間と同じように話したり、動いたりするのはまだまだずっと先だろうし。こんな科学技術の進歩速度ではドラえもんの道具なんて22世紀が来たって絶対実現しないのだろうな。という不満ともとれる意見をよく聞く。
誰かが想像した、主に科学の進歩によってもたらされる恩恵は未来の面白さを予感させてくれる。それと比較して現在の技術の進歩を嘆くのはある程度真っ当だろう。あれだけすごいと思った想像と、現実を比べれば、そこに大きな溝は当然出来る。そういった意見に対して、しかし現実だってすごい。携帯電話やインターネットなんて二十年前には一般に普及するなんて皆考えもしなかっただろう。と言う人も居る。
しかし、私はそれらの意見を聞いて、今がどうであるとかいう事よりも、もっとすごいと思う事がある。それは少し昔に未来を想像した人たちの事。実は私達は未来を想像する時に、誰かが想像した物を借りて、それを未来のイメージとして自分の物のように定着させている。そしてそれらが多くの人の持つ、未来の普遍的なイメージというものに何時の間にか成って行く。そして人々が何故そのイメージを未来像として採用するかと言えば、その提案された未来の形が拒む事の出来ないほどの魅力を放っているから。そもそも、誰かが想像した物と、現実を比較するという事など、大それている。想像は何でも有りの世界で、予測などでは決して無い。誰かが有ったら面白いだろうな、と考えただけなのにそれをたどり着くべき未来のように感じる人も居るという事実。未来をテーマとした創作物。それは、未来という、本来予測など出来ない物を人々にも想像させ、その想像すること自体に楽しさをもたらし、今生きている人々のハートを鷲掴みにするパワーを持つ物なのだ。