他人の遺伝子を書き換える

全ての生物は遺伝子の乗り物である。という説がある。
自分の遺伝子をより多く世界に残すことを目的として生物は存在し、利己的と思える行動も、全ては「種」を最優先し、残すための最適な行動をとる結果である、という考えだ。

まず、生物の遺伝子は経験や環境から得た情報を反映し、次の世代に伝えるべき遺伝子を加工する。その遺伝子という設計書を次の世代に渡すという流れがある。人の性格、性質、感情といったものは高度な情報処理の結果出来上がった判断基準であるという見解は、認知心理学発達心理学の世界でも広く受け入れられているようだ。
では、その性格などの情報は、どのようにして遺伝子に刻まれるのか、何故刻まれるのか?それに対しては、下記のようなプロセスで説明がつく。
生物が生きてきて、その間に重要な情報を手に入れたとき、それに対しての適切な反応を解答として認識し、覚えておかなければ次の世代で同じ事象に対面したときに誤った選択をしてしまう。すなわち、選択肢を間違えることによる「死」が待ち受ける。それを避けるために遺伝子に特定の状況に遭遇した際には特定の反応を起こすようにプログラムを設定しておく。しかし、「特定の状況」や「特定の反応」を遺伝子に列挙して情報を載せていたら、遺伝情報などすぐにパンクしてしまう。それを避けるため、「特定の状況」や「特定の反応」をデフォルメして情報として持っておく。
その遺伝情報を、人は性格、性質、感情と呼ぶ。

ところで、私達は人生を歩む上で、今までに数回、または数十回と、自分の価値観を根底から覆されるような経験をしている。ある時は、身に迫る危機を感じて、事故や病気といった生命にかかわる事件に立会い、考え方を変える。またある時は、人と接していく上で、感動する気持ちのやり取りを経て、考え方を変える。文化や人種、政治体制、差別といった社会的な境遇を認識することで新たな価値観を形成することもあるだろう。また、本を読んでそのような経験をした人も要るだろうし、音楽を聴いたり映画を見て同様な経験をした人もいるだろう。そんな経験をした後、人は確かに「自分は変わった」と感じる。正しいだろう。

そして、実はきっとそれらのことは、遺伝子に刻まれる。なぜなら、前述したように、「自分は変わった」と感じる時、その人が最も重要視する「特定の状況」と「特定の反応」を確定するからである。つまり、人の判断基準や価値観によって人はその存在の最も重要な根幹的な部分、「自分が自分であること」を形作るのである。

さて、冒頭の生物は遺伝子の乗り物であるという説に沿って考えると面白い仮説が立てられる。「自分の遺伝子をより多く世界に残すことを目的とする」という言葉を少し拡大解釈してみよう。「自分の後の世代に少しでも多く自分の情報を残すことを目的とする」、とした場合、目的の達成のためには、
①自分の情報を遺伝子に乗せて残す、のほかに
②自分の情報を他人の遺伝子に乗せる
という手段がある。

②は何を言っている?どうやって?と思うだろうか。

答えは既に出ている。
自分の遺伝子を受け継いでほしいと思う人間を「変えて」やればよい。
その人の価値基準や判断を覆すほどに感動させてやればよい。たとえば、言葉や音楽で。

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