容疑者逮捕

重い罪を犯した者が逮捕された時、人は安堵と共に、容疑者への刑罰へと関心が向く。罪を犯した者は当然捕まるべきだという願望が達成され、次に自分 が妥当だと判断する罰が罪を犯した者へ与えられることを当然のように望む。そこから横展開的に、何故罪を犯したのか、どのように行ったのかの調査が進んで 行く。その情報を基に自分の判断、意見を作り出す。

このようなときに必ず疑問が沸き起こる。誰一人としていないのだ。

新聞、テレビはもちろんだが、こんなにもブログや匿名で書き込めるサイトがあったり個人で情報を発信できる環境が整っているのに。

警察にはインセンティブが無い。もちろん長期的には警察というもの自体の信用を保つために必要な事だが。捜査が上手くいくことで誰かに褒められたり、報酬をもらえたりするという事が無い。

当たり前だ、という人が居る。それが彼らの仕事だ、と。

犯罪の加害者や被害者になってしまう、身近にそのような不幸があった人ならば感情的になり、どちらかの立場に共感し、入れ込んでしてしまうこともあるかもしれない。そのような人が、刑罰の量刑について考えたり主張したり、加害者、被害者の家族等に対する感情を吐き出すこともあるだろう。しかし、そうで無い人、いやそのような人たちも最初にするべきことはなんだろうか、と考えると、社会に対する安全を作り出す者への感謝だと思う。

国 民であることは、自分がお客様であると錯覚することなのか。サービスを受けた時に感謝の言葉も述べずに、「当然だ。」と言うことなのか。仮にお客だとして もレベルの低い客だろう。一流の店で、満足のいくサービスを受けたときに、礼を言わない人を見たことが無い。一流の店に来る人は一流だから。一流で無い人 が店の良し悪しを評価できるのか。意識の低い国民が政治を、行政を、公務を評価できるのだろうか。

好奇心から話の種にしている人はまだいい。自覚的だから。真面目な顔をして当然のごとく、べき論を持ち出す人々、何の疑問も抱かずに量刑の話をする人々、動機を推測し出す人々。

怖い。


警察の皆さん、いつもご苦労様。


・・・みんな、誰もそんなこと思ってないのかな。