大人

 ある分野において、新規アイデアを実行しようとするとき、その話の実現性における根拠には客観性が無いのではないか、という指摘をされることがある。しかし、多くの場合、この指摘は意味を成さない。

 判断能力の無い人間100人がAだと言っても判断能力がある人間1人がBだと言うのならそれはBが正しい。しかし、客観性という言葉の定義は「一般的には」や「多くの人が言うには」と言う言葉と混同されやすい。
 まして新しいことをなそうとする場合や、新たな切り口で物事を判断して行動を起こそうとする場合ならば、その分野で正しい判断が下せる者はいない。行動を起こす人間が正しい判断を下すしかない。その判断に従って行動を起こしたものが、後にそれが正しかったと言うために、行動をもって証明するしかない。それが先駆者の役目。その時それを実行したものの主観が、その分野の客観的に正しい判断基準となる。
 自らの主観をその分野における判断基準として広めることが出来たなら、その経験を持つ人を、人は大人だと言えるだろう。